英語・英会話の勉強は子供の時からがおすすめ

親のコンプレックスを子どもに解消させるようなことはすべきではない、とはよく言うが、自分が抱えるコンプレックスと同じものを子どもに持ってほしくないと願うのは親心だと、私は思う。

私も主人も英語が得意ではなかった。中学校で習った事はうっすら覚えてはいたが、英語で会話したり英語の新聞や読み物を読むなんてとんでもない、といった具合だ。

もちろん洋画も字幕がついていなくてはてんで理解できない。

日本で普通に暮らしている分には大して困ることはなかったが、それでもこの小さな島国にもグローバル化の波は確実に押し寄せているようで、私たちが若かった頃よりも大勢の外国人が日本に訪れるようになったし、逆に留学や海外駐在も珍しい事ではなくなっていた。

そして世界レベルで活躍をしてこそ、本当に認められるという風潮が強くなり、また、日本から飛び出した方が世界に通用する力を身につけることができるという、そんな時代になってしまっていた。

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個人的には、それはとても良い事だと思う。
この海に四方を囲まれた小さな島国で井の中の蛙になっているよりは、大海へ出て、世界を知り、豊かな人生を送った方が、たった一度きりの人生、間違いなく充実したものになるという確信があった。

それゆえ、私は娘が小さい時から英語を習わせようと決めていた。
他にもお稽古事は沢山候補があったのだが、英語は私の中では最重要事項だったのだ。

主人も私の意向に特に反対はしなかったので、私たち夫婦は娘を幼稚園に併設された英会話教室に通わせる事にした。

地元の先生が子どもたちと楽しく英語と触れ合うような、そんな英会話教室で、食べ物や動物など、様々な絵が書かれたカードを使って英単語を覚えたり、クイズ形式で数字を練習したり、英語の簡単な挨拶を交わしてみたり、英語圏の文化に触れるためにハロウィンやイースターなどキリスト教にちなんだイベントをおこなったりするような、そういった活動が中心だった。

娘はとても楽しそうにその教室に通い、私にも「英語、好き。楽しい」と言ってくれた。

よし、これでまず英語に対するポジティブな印象を与える事に成功した、と私は内心ガッツポーズを決めた。

私には壮大な計画があり、娘を街の小さな英会話教室に留めておく気はなかった。
もちろん、そこの教室が悪いというわけではない。

ただ、私にとって、そこは「子どもが英語を好きになる場所」であり「子どもが英語が話せるようになる場所」ではなかったのだ。

バイリンガルになるためには、もっとハイレベルな教室に通わせないといけないと思っていたので、私は娘を幼稚園併設の英会話教室に通わせながらも、ずっと他の教室を探し続けていた。

娘が通っていた教室にはネイティブの先生がいなかった。教えてくれていた日本人の先生の発音はお世辞にも上手いとはいえず、そういったところでも、早く教室を変更しなくては、とかねてから思っていた。

そして私は、自宅から数駅離れた場所に、ネイティブの先生と日本人の先生が教えてくれる英語教室を見つけた。
ネイティブの先生と会話をしながら、日本人の先生もフォローしてくれるというもので、これはかなり効果が期待できそうだった。

さっそく娘を新しい教室に連れて行き、体験レッスンを受けさせた。

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娘は最初こそ、お友だちも沢山いる地元の英会話教室から離れるのを嫌がったが、体験レッスンで、ネイティブの先生に過剰なぐらい褒められて、すっかり気を良くし、二つ返事でこちらの教室に通うことを承諾した。

新しい教室は、我ながら素晴らしい教室を見つけたと自負してしまうぐらい、本当に素晴らしかった。

レッスンの主目的が「英語に親しむ」ことではなく「英語が話せるようになる」というものだったので、その教育方法は徹底していた。レッスンは主に会話を中心にして行われた。

ネイティブの先生は日本で暮らしてもう10年以上になるので、日本語はペラペラだったが、子ども達を相手に話す時には絶対に日本語を話さなかった。英語しか使わず、しかし、子どもに理解できるように、習った単語やシンプルな文法、そしてジェスチャーなども加えて、工夫しながら会話してくれた。

まるで実際に現地で親が子にするように、ゼロから少しずつ子ども達に言葉を教えてくれたのだ。

これは、単に「英語が話せるようになる」という事だけでなく、「伝える」という最も重要なことを教えてくれたのだと今になって思う。

娘は本当に伝える力が身についている。尻込みせず、物怖じせず、自分が言いたい事を何としても相手に伝えるという力があるのだ。実はこれが外国人とコミュニケーションをとっていく上で最も大切なことらしい。

いくら英語の読み書きができても、いざ会話となると急に無口になってしまうのは、自分に自信が無かったり、恥ずかしさが残ってしまったり、という事が原因だそうで、これは、娘は小さい頃から「間違えても良いからどんどん自分から発言、発信していく」というクセがついていたため、無縁の現象だった。

一方で、日本人の先生は、子ども達に、よりシステマティックに英語を教えてくれた。

赤ん坊ではないので、日本語で授業のようなスタイルをとれば、子ども達は当然ついてこれる。赤ん坊が2年かけて話せるようになるプロセスを、3ヵ月程度で実現させるために、日本人の先生が、覚えるべき単語や、簡単な文法などを教えてくれた。

「英語のしくみ」と題して、講座形式で教えてくれたのだが、親が聞いても非常にためになるというか、子ども向けなのでとても分かりやすく、また、飽きさせないような工夫も凝らしてあった。

そして先生方は、できれば親御さんも一緒になって「英語があふれる環境」作りをしてください、と常日頃から言い、私も主人もその言葉に応えようと、できないなりに自分たちの話せる英語を使って娘と会話したり、家の中でも英語の音楽やテレビ番組を流すよう心がけた。

そうこうしているうちに娘は小学生になり、理解力もぐんと伸びた。

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子どものうちは、自分ができるもの、得意なものが好きになる傾向にあり、当然娘は英語が大好きだと言っていた。英語の勉強もまるで苦にならないようで、世界レベルで流行した児童書を英語の原語でスラスラ読むようにまでなっていた。

まだビジネス英語などは学習していないためTOEICは受験できずにいたが、レベルとしては、ネイティブと互角に会話、議論ができるようになっていたと、わが子ながらそう思っていた。

ある日、娘の学校に転校生がやってきた。
日本人だったが帰国子女で、お父さんの仕事の都合でアメリカに5年間住んでいたという子だった。

当時娘は5年生だったので、その転校生の子は小学生時代はずっとアメリカで過ごしてきたことになる。

娘は英語でお喋りできるかもしれない、と意気揚々と登校していった。
実際初めて会って、2人はすぐに意気投合したという。

転校生の子も、自宅では日本語で会話していたため日本語はきちんと話せたようだが、日本の学校に馴染めるか不安でいっぱいだったようで、初めて知るルールや、アメリカでは当たり前だったことが日本ではビックリされるような行動だったりして、戸惑いを隠せなかったらしい。

そこに娘が積極的に「私、英語習ってて、練習したいから、たまには英語でおしゃべりしよう!アメリカの学校の話も聞かせて!日本と全然違うよね!大丈夫、すぐ慣れるから。日本の学校のこと、何でも教えてあげる」とお節介を焼いたらしく、これで転校生の子も、頼れる友人ができてほっと安心したんだと、後日私に聞かせてくれた。

ここでも娘のコミュニケーション能力が発揮されたというわけかな、と思い、こういった力を育ててくれたのも感謝しなければ、と私は改めて思った。

娘と転校生の子は、それから急速に仲良くなり、転校生の子のご両親が、自分の娘が英語を忘れないように、と通わせていたインターナショナルスクールに、娘も連れて行ってもらったり、在日アメリカ人たちのホームパーティーがあれば一緒に呼んでもらったり、娘もまた、自分の教室にその子を連れていったり、お互い英語に触れる機会が増えていった。

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娘は、ほぼネイティブな英語が話せる友人ができてとても楽しそうだったが、同時に悔しさも感じていたらしく、一層英語の勉強に力を注ぐようになった。

その悔しさは、発音と、自分の知らない言い回しを彼女が使いこなしていたところだった。
やはり本場仕込みの発音には敵わないと思ったらしく、もっと英語が話したい、もっとネイティブに近づきたいと必死に発音の練習に取り組んでいた。

良きライバルができたのね、と思い、私は娘に陰ながらエールを送っていた。

進学にあたり、娘にインターナショナルスクールの私立中学を受験しても良いよ、と言ってみたが、娘は「今の環境でも十分英語に触れられてるから、中学までは地元の公立で良い」とハッキリと宣言した。

そして中学では転校生の友人と英語の成績で常にトップを争い、高校はその友人と同じ、英語に特化した学校へ進学した。

その高校は、クラスの半分近くが帰国子女で、残りのメンバーも英語はペラペラという環境だったので、娘は特別扱いされたりする事なく、普通の一生徒として授業を受けていた。

英語でおこなわれる授業もあり、それが普通だった。

私からしたら「すごいなぁ」としか言えないのだが、娘たちにとってはそれが普通で、別にすごい事でも何でもなかったらしい。

英語ができるという事がアドバンテージにならない学校で学んだため、娘の興味の枠が広がった。

英語はできてあたりまえ、これは特技とは言えない。だったら、自分は何を勉強して、何を深めていこうか。そんな事を考えるようになったという。

そして娘が興味をもったのは、国際協力だった。

小さい頃から困っている人を見ると放っておけない性格だったので、親としても娘が国際協力に目をつけたのはよく分かることで、応援したいと思った。

いつか国連に、という目標をもち、そのためには最低限必要とされる条件である「英語を話す」というところはクリアしているため、あとは知識と経験値をためていくだけだった。

目標ができると人は大きく成長するもので、娘は国際協力について研究できるような大学へ進学を目指し、猛勉強をはじめた。

日本の大学にこだわる必要はなかった。
そして、この分野を深めていくには、日本の大学よりも海外の大学の方がはるかに向いていた。

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娘は海外の大学に進学したいと私と主人に言った。

子どものやりたいようにやらせる、というモットーで養育費はたっぷり貯めていたので、私たちは二つ返事でその要望を聞き入れ、応援する旨を伝えた。

「必ず出世払いするからね!」
娘はそう言って、がぜん一生懸命勉強に力を入れた。

そして見事アメリカの大学に入学する切符を手にし、渡米した。

主人は心配そうにしていたが、かわいい子には旅をさせろ、という事で娘の背中を押して、送りだした。

娘は私たちを心配させないように、こまめに連絡をよこした。
なんと現地で英語教室の講師としてアルバイトをしているらしい。

なんでまたアメリカで日本人が英語の先生を?と不思議に思ったが、よくよく話を聞いてみると、どうも夢をもって渡米したものの英語で躓いたり苦労したりして困っている日本人が沢山いるらしく、その人たちを対象に開講している英語教室で教えているのだと言う。

日本人で、日本語ができる人の方が、英語のできない日本人たちにはありがたいから、私みたいなのは重宝されるんだよね、と言っていた。

時給もファストフード店などでアルバイトするよりも良いらしく、良い仕事が見つかってラッキーだったと喜んでいた。

私はこの話を聞いて、夢をもって海を渡っても、結局語学の厚い壁が立ちはだかって苦労するのであれば、やはり小さい頃から、今のところ世界レベルの共通語として話されている英語はマスターしておいた方が良いのね、と思った。

学業に、アルバイトに、アメリカでできた友人と過ごす時間や現地でしかできない体験など、充実した学生生活を満喫し、娘は卒業してから一度日本に帰国して、できれば日本を拠点に世界を飛び回る仕事がしたいと言い、就職活動をした。
そして国際協力にも大きく携わる外務省系の法人に就職する事が決まった。

娘がやりたいと思った事を実現する事にも「英語ができる」という力が大いに役立ったと確信しているし、何の苦労もなく渡米後も順風満帆な留学生活を送れたというのも、やはり英語が喋れてこそ、ということで、私は心から娘が小さいうちから英語教育に力を入れてよかったと思ったのだった。

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